古民家について


 当家は、古くから当地に居を構え、家伝によると、かつては庄屋であったらしく、主屋は、文政6年(1823)の火災で焼失した妙正寺を再建する際、余った材木で建築されたという。屋敷は集落の南端部、竹野川の東側に配置されている。現在では、主屋は入母屋造トタン葺きで、蔵と隠居はいずれも切妻造瓦葺である。

~中略~

 当家は、各部材の経年の度合いや、フキオロシ、張り出した床、棚の形式などの特徴からみても、由緒を窺わせる要素を併せ持ち、五十河集落内において重要な遺構である。

文献:五十河の民家と集落構成、景観 -京丹後市大宮町五十河地区民家調査報告書

平成18年3月 京都府立大学 人間環境学部 環境デザイン学科 大場 修

推定築200年、伝統構法の古民家 ~ここに注目!~

 伝統構法は世界最古の木造建築で飛鳥時代の奈良法隆寺まで遡り、昭和初期までに建てられた神社仏閣と同じ構法です。現在の建築基準法でこのような家を新築する事は耐震構造計算の関係で非常に難しく、耐震性はほぼ0ですが、免振構造により地震の揺れを各部で吸収し、外力を受けても、しなり、曲がり、力を逃がす、地震エネルギーが建物に伝わり難くした「柔」な構造です。1927年発生の北丹後地震でも震度6(当時)に耐えています。

 地元集落にある自然素材から造られ、傷んで古くなった部材は元の自然に還す。循環型で持続可能な建物といえます。

 

 【笹葺き屋根】

 屋根の外側はトタン屋根で覆われていますが、内部は茅葺(かやぶき)ではなく、全国的にも珍しい笹葺(ささぶき)が葺かれたまま保存されています。笹葺きは丹後半島と能登半島の一部にみられ、この五十河集落では茅が穫れなかったために笹を用いたようです。

 内部を間近で観て頂けるよう、床材(1Fから見上げると天井材)を修繕しました。

 【石場建て】

 石場建ての地松柱で建築当時の造りに基礎土台はありません。豪雪地帯における伝統構法の特徴として、雪の重みにも耐えるよう太い柱で6寸(18cm)あります。場所により欅柱もあり、4.5寸~6寸の柱材が用いられています。地面に近い部分ほど傷みやすくなりますが、傷んだ箇所を除き、木を継ぐことで長期的に建物の寿命を延ばすことが出来ます。

玄関から屋根裏の木組み

【木組み】

 地元で伐採した地松(主として赤松)を主体に、 釘や金物を使わず、職人の手仕事によって木材を加工して作り上げる「仕口」や「継ぎ手」という接合部によって組み上げていく手法です。現代の在来工法とは違い、構造材としても貴重な地松を無垢で用いていること、当時の職人の技術力が優れていることが解ります。

 この母屋の特徴として、地松の太い梁と桁、鉄砲梁の曲がり、格子天井、差鴨居にあると思います。

【土壁】

 建物内に建築当時の土壁も保存されています。柱と柱の間に格子状に竹を編んだ竹小舞下地をつくり、その上に水と藁を含んだ土で荒壁を塗り込んでいます。優れている点は自然素材であり、日本の風土に適した調湿効果や耐火性があります。現在では左官職人も少なく、再現する事は難しいようです。

 玄関隣の和室上部にも土壁を残しています。

【書院造りの客間】

 江戸時代後期、集落の庄屋として役割を務めていた事もあり、建築当時から来客をもてなす書院造りの客間があったようです。床や柱に欅材が用いられ、付書院の建具は集落内で同時期に建てられた妙性寺にも同様の障子戸を見ることができます。雪見障子も趣があり、外には蹲踞(つくばい)がある事から、茶会なども催されていたと思われます。

 現在は家主の趣向になりますが、掛け軸や飾り皿を飾っています。

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