はじめに
海、山、川に囲まれた丹後半島の里山に古民家を購入し、京都市内からの二拠点移住、早期退職を経て、古民家民泊を開業しました。
庭園にキャンプ用テントを設営、菜園で野菜を収穫し、庭園に花を育て、リビングにアップライトピアノを置き、丹後の食や吟醸酒に胃袋を掴まされ、五十河(いかが)集落の健康長寿で温厚な人生の諸先輩方に支えられながら、里山生活を送っています。
江戸時代後期、推定築200年、伝統構法(石場建て、木組み、土壁)、全国でも珍しい内部に笹葺(ささぶき)屋根を残し、丹後ちりめん全盛期の養蚕農家として、集落の庄屋としての佇まい、丹後地方に残る伝統的な古民家の造りです。この古民家を多くの方に観て触れて、ゆっくりと滞在して頂きたく、そして100年、200年先の後世にも残していきたいと考えています。
古民家について
当家は、古くから当地に居を構え、家伝によると、かつては庄屋であったらしく、主屋は、文政6年(1823)の火災で焼失した妙正寺を再建する際、余った材木で建築されたという。屋敷は集…
続きを読むアトリエ小町 部屋紹介
母屋(古民家)【玄関】 改修により玄関の天井を抜きました。笹葺き屋根裏と開放的につながっています。養蚕時代に荷物の上げ下げを滑車で行っていた事から荷物を置くスペ…
続きを読む民泊理念
「創造的な里山生活を通じ、智識をもって、丹後の地方創成に携わる」つなぐ健康長寿の食に関わる丹後の農業生産者と消費者がつながる機会を提案していきます。丹後…
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丹後の里山・五十河(いかが)集落
日本の原風景が色濃く残る五十河の里山は、近隣の新宮にて縄文時代の遺跡が見つかるなど、内山の森林を伐採して家を建て、稲作を主体とした生活が営まれていたとみられます。奈良時代には山を越えて丹後国分寺が建立され、天橋立と共に神仏崇拝の対象として京の都からも参拝に訪れる方も多かったとみられます。
平安時代には歌人「小野小町」が天橋立詣で五十河の地に立ち寄り晩年を過ごした逸話もあり、戦国時代には明智光秀の娘、「細川ガラシャ」が宮津城より丹後の奥深い味土野の地へ幽閉に向かいますが、経路を辿ると五十河の里山の情景も目に留めたのではと想像されます。
江戸時代中期には丹後地方で絹織物の丹後ちりめんが創織され、五十河の地は養蚕の生糸産地として活性化していたようです。
現代は少子高齢化の波を受け、五十河集落では年齢層が高く推移しいていますが、健康長寿の多数のお年寄りは元気に体を動かしながら暮らしています。五十河集落より上にある京都府最大の内山ブナ林群には手付かずの豊かな自然が残っており、「豊穣の森」として後世に残すべき自然遺産と言えます。
長い歴史のある里山には時代ごとに温故知新の見識があり、古いモノの上に新しき創造を生む英知があると思います。持続可能な社会が提唱される令和の時代、道理としての正しい智識を身につけ、丹後と五十河集落の地方創成に汗を流し、微力ながら携わっていきたいと思います。
令和5年9月
古民家民泊 アトリエ小町
代表者 吉村 一宏
民泊概要
民泊名 | 古民家民泊 アトリエ小町 |
丹後保健所 届出番号 | 第M260033216号 |
代表者 | 吉村 一宏 |
所在地 | 〒629-2512 京都府京丹後市大宮町五十河1331 |
TEL&FAX mobile phone | 0772-66-3775 090-5062-5899 |
k-yoshimura@mvc.biglobe.ne.jp |
アクセス
電車でお越しの方・・・京都/大阪方面より、JRと京都丹後鉄道にて「宮津駅」or「天橋立駅」or「京丹後大宮駅」下車、送迎致します。
バスでお越しの方・・・京都/大阪方面より、丹後海陸交通株式会社にて「宮津駅」or「天橋立駅」or「大宮ロードパーク」下車、送迎致します。
いずれも所用約2.5~3時間です。
お車でお越しの方・・・京都/大阪方面より、京都縦貫道経由、京丹後大宮IC下車、約8分位。
所用約1.5~2.5時間です。